シカタナイがとまらない

子供達(生徒)を見ていて大抵の事は「仕方ない」そう思うようにしています。
例えば、遅刻を繰り返す所謂チコキング。
遅刻をして最もよくないのは「慌てて危険」という事だと思います。
車でも自転車でも、安全に一番必要なのは「時間的なゆとりを持つ」ですよね。
とは言え、小言は言わせてもらいます。
ですが、それって自覚だし、やはり安全第一なのでそこは魂を込めて伝えます。
遅刻の理由は様々でしょう。
ただし、それでも稽古は続けている。
遅刻もその内の一部です。
生徒皆が色々考えてくれたら良いと思います。
技を出す、構えを決める、上手く出来ない時もある。
集中している時もあれば、ボーッとしている時もこれまた様々。
生徒自身が心ここにあらずとも言えるし、私がそうさせているとも言える。
これ、大人も含めて何かの原因で気が乗らなかったり浮かれるとかありますよね。
まあ、仕方ないわけですが、そもそも仕方ないってとても曖昧な言葉だと思います。
「諦め」と捉えると嫌いな言葉だし、「成るように成る」的な言葉と解釈するととても魅力的なものに感じます。
勿論、今回私が気にしているのは後者の方で、あらゆる理由があるからこそそう成るのですから。
「仕方ない」という目で見る事によって、物事の本質を理解しようとする余裕が生まれる気がします。
えっと、これは私の空手修行における第一の課題なのですが、それは「イライラしない」ということ。
おいおい、ずいぶんと子供じみてるぞ。
そう思う気持ちはわかりますが、これ、私にとっては結構難題となっています。
組手も生活もイライラして良いことはありません。
イライラしているのを見て元気になる人もいませんし。
私も見るのは嫌いです。
大抵は、そこに真っ当な理由と原因があるにも関わらず、自分本位になり身勝手な判断や解釈によるストレスの発散になるケースが多い。
その名もダサいダサー人。
とは言え、ですよ。
道場行くときに公園を見るとゴミが散らかっていたり、道を歩けばたばこのポイ捨てもまだまだ無くならない。
うるっさいバイクや、礼が出来ない人、駐車スペースにあからさまに真っすぐ停められない人もそう。
なるべく、なるべくその行為への理由をイメージすると「仕方ない」そう思える時間稼ぎが出来る。
ただ、そんな想像力を思考停止に追いやる直感が「教養や道徳不足」と判断すると、今のところはお手上げです。
なんだか、こっちだけが損している気がするから余計にイライラしてしまう。
だから、この瞬間の処理なんですよね、あたしの課題は……。
ホント「罰当たれ!」なんて思ってしまったりすると、その瞬間に私の立場や歳や色々気にして、それすらも面倒だと気付いてしまうと、どこまでが、何がなど善悪の境目がぼやけてしまい、それら全ての余分な物を拾ってきた私自身に腹が立ちストレスは満開を迎えるのだ。
これこそ仕方ないのでしょうかね……。
まあ、結果的に今は負の印象が強い出来事ですが、物事に気が付き考えを巡らせているのは私は悪いことではないと思っています。
なかなか答えが出ないのも、出なそうなのも望むところです。
勝手に「処理を上手くしたい」そう思っている事がそもそも筋違いなのかもしれないですしね。
それはわかりません。
仕方ないです。
ただ、彼らの存在が私に課題と試練を与えてくれているのは前向きな要素かもしれません。
稽古と同じで、継続の中で色々とクリアになる、その過程を楽しみたいと思います。
では。
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