2025 TN夏合宿/ソーカツ

今年の合宿も実り多いものでした。
さて、夏と言えばウナギです。
ウナギと言えば、秘伝の継ぎ足しタレが決め手。
我々の合宿も、15回目をかぞえますが、先輩から後輩、後輩から先輩へと経験を継ぎ足すことによって実に味わい深い合宿へと成長を遂げています。
皆様のお陰です。
本当にありがとうございます。
そういえば、継ぎ足しタレは腐らないように定期的に火入れをするようですね。
ウチの合宿では、毎年、新しい黒帯が誕生して合宿に挑んでくいれています。
そんな彼等の新たな心境は、新たな緊張感と責任感、それと新たな自信とリーダーシップを生み、周りの生徒達への良い刺激となっています。
ここで、今年の6月に黒帯デビューを果たし、合宿でも大活躍してくれた生徒を紹介します。
彼は、5歳の時にサンフランシスコ道場で空手をスタート。
ここ、TN道場に来たのが2020年。
そうです、コロナ禍真っ只中でした。
その頃はイベント事は何も行えずに、2007年から続く合宿も2020年から22年までの3年間はポカリと間が空いてしまっていたのです。
彼は、通常の稽古を休むことなく電車で通っていました。
いやー、電車で通う事だけでも大したもんです。
ですが、上級者がチカラを発揮出来るのは、普段の稽古ではなくてイベントです。
言い方を変えると、特別なイベントでの経験を活かして大きな成長に繋げる事が可能なのが、彼の様な確かな基盤を持った生徒ということです。
結局、イベント開催は、2022年の型の試合まで待つことに。
そこから3年間、道場では様々なイベントを開催してきましたが、彼は可能な限り全てイベントに参加してきました。
私は、黒帯で一番大事な資質は「経験を大事に出来る事」だと思っています。
彼は、イベントへの参加に葛藤がなく、とても積極的な姿勢で挑める才能を持ち合わせています。
中でも、2023年にコロナ禍以来、初となる合宿での彼の活躍は目覚ましいものがありました。
2023年の合宿にて
当時から、人の嫌がる事でも率先して行動を取れる非常に潔い生徒です。
昨年、そして今年の合宿でもそうでしたが、彼は常に冷静沈着を装い、周りに流されたり惑わされる事なく自分の意志でリード出来る強さを持っています。
こちらが昨年です。
彼は、決して威張ることも奢ることもなく、また、譲ることもありません。
場を和ませたりまとめるのも非常に上手く、私も見習っているところです。
技術や知識も高い。
後は、このまま経験を積み、ここぞという時のチカラの出し方と言うのでしょうか、緩急ある稽古が出来てくると、軸になる技が見えてきて、自身の組手スタイルを確立することも出来るでしょう。
今後が非常に楽しみです。
それにしても皆小さいですね。ほんの1年前なのに!
今年3月の最高師範による昇段審査でも、彼の良さがよく現れていました。
彼はこの時、高校受験を終えたばかりで、昨年末頃から限られた稽古時間が続きました。
勿論、彼にとって初の昇段審査ですからね、不安もあったでしょうが、そんな厳しい状況を一切言い訳することなく、普段通りに淡々とそして堂々と昇段審査に挑む姿はとても立派でした。
私も、彼に対しては一切の不安もありませんでした。
彼は稽古の仕方を知っているからです。
型を少し間違えようが、組手で上手く行かなくても、本来は大した事ではないのです。
少しのミスや不安が動揺を誘う、そこまでは仕方ないとも思っています。
ですが、その後アタフタとまるで動揺が行動を支配しているのが当たり前のような素振りを取ってしまう生徒を「その場」でよく見掛けます。
厳しいようですが、これは明らかな準備、経験、稽古不足、ただそれだけなのです。
彼は、昇段審査を意識して地道に何年も掛けて稽古してきました。
なので、高校受験で少し稽古出来ない事くらいなんともないのです。
初段の帯を締めてからまだ数か月しか経っていない、そんな彼ですが、何処にでも出せる立派な黒帯です。
改めて、ありがとう。
さて、ここからは、合宿の総括です。
今回の合宿、全体での反省は2つあります。
稽古では、リーダーが先頭になり良く声を出し、声を掛け、勿論、態度でも立派に皆をまとめ上げていました。
ですが、稽古以外の例えば宿内の生活の部分では、今一つ、子供達の連帯がとれていませんでした。
私は、普段の生活に活かされてこそ、初めて空手稽古の意味があると思っています。
別に、それが武道だとか関係なく、何かを習うって本来はそういうことじゃないでしょうかね。
1人の人間が何をやろうが、そこには生活という基礎、根本があるわけですから。
理想は、稽古内外で同じ意識と行動が出来る事です。
もう一つ。
これは、今回の合宿だけの反省というか普段の稽古でも感じていることでもあります。
今の時代背景なのでしょうか、疲れたと感じたらダラダラする。
わからない、自信がないから答えない。
ダラダラしても、それが当たり前のような振る舞いをしてしまう。
気持ちに応じて体や行動がとても素直に影響を受けやすい気がします。
合宿最終日の早朝もそうですが、挨拶もしなければ、普段は出来るのにタメ口をきいてしまう子もいました。
きっと、ふとしたことでしょう。
ですが、ふとした時に真価が問われるのです。
合宿も3日目となれば、確かに疲れもあるでしょう。
それに、合宿ゆえの家庭内と混同する部分が「緩み」となる可能性が高くなるのが最終日、だと思います。
ただ、今までそんなことなかったですからね。
なにかしら時代背景が影響しておきた変化と疑いたいところです。
構え(姿勢)を正す事、格好つける事くらい意識すれば必ず出来ますよ。
意識の高い、格好良い人間が集まれば気持ち良い空気が流れるわけです。
もしも、みんながそんなつもりで生活していたら、きっと気持ち良い世の中になるんだろうな、と期待が膨らみます。
時間がないから慌てた行動にはしるとか、席を譲るのが面倒だからと寝たふりをするとか。
頭に来たから殴るとか、何も考えられないから爆音出しちゃうとか。
人に対する迷惑や空間に対する感性って、教育で養うことが出来ると思っています。
想像力を豊かにしたり人の気持ちを理解出来るようになるのには、経験がモノのいうのではないでしょうか。
教育を受けるにしても経験を積むにしても、機会は限られているわけです。
「疲れた」と感じたらダラける。
これは、とても素直な反応だと思います。
ただ、何をもって「疲れた」と判断するのか?
そこに答えなどありません。
ともすると、暑いとそう感じるのかも知れないし、面倒に感じる言い訳にしてしまう可能性だってありますからね。
ですが「格好つける事」の意味を知り、そこに意欲を持てる自分に育てることは出来るのです。
人間、年を重ねるごとに様々な事を知り、理解します。
理解を重ねるのは良い事ですが、それを利己的な解釈にしてしまうリスクがあると思っています。
そこを教育と経験とでうまくバランスを取ることが大事な気がします。
今は、知りたくない事までも知ってしまう、知り放題な世の中です。
稽古をしていて面白いのは、私は生徒との間に壁は感じません。
ですが、こちらが言わんとする内容がすんなりと生徒に伝わったかどうか、という事に関しては、まるで擁壁が目の前に出現したかのような手ごわさを感じる事があり、それが年々明らかになってきています。
勿論、私の伝え下手の部分は、そんな時代背景のせいには出来ませんが、年を追う毎に感じる部分というのは確かです。
1を知ろうとすると10の情報が入る時代。
ならば、こっちは1から10まで伝えよう、そんなつもりでいますけど。
合宿は、朝も早ければ稽古時間も長い。
身勝手な行動は出来ません。
慣れると大したことはありませんが、それでも普段よりは大変です。
でも、だからこそ周りとの協力も、助け合うことも経験出来るし、人の気持ちを理解出来るようになるのではないでしょうか。
また、円滑な集団行動には、想像力を活かした読みはとても重宝します。
これは、百戦錬磨の黒帯や、特に中高校生の上級者が最も得意とするところです。
経験の必要性と大事さについても学ぶ事が出来るのです。
さて、最初にもお伝えしたように、15年の歴史は重いです。
長く続けているからこそ、時代の変化にも気が付くことが出来るし、生徒の成長を見届けることが出来ています。
長い時間を掛けて様々な経験をしてきたからこそ、合宿で起きる殆どの事は想定内として処理出来ています。
生徒それぞれが、立場と役目を意識する。
それらは回数を追う毎に変化します。
それは即ち、自身の成長の記録でもあるのです。
今年の合宿も最高に楽しかったです。
来年の成長が楽しみでなりません。
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