懐かしや一期一会に春うらら

入学の春です。
先日、大学の同期から連絡があり娘さんが母校である日芸(日大芸術学部)に合格したとのことでした。
そう言えば、暫くキャンパスには行ってないな。
今では、校舎も超が付くほど綺麗になり近代的に様変わり。
昔の面影が無いのは少々切ないが……。
他にも、西武新宿線の航空公園駅からバスで揺れること15分程の所に所沢キャンパスがありました。
2年生までが使用していましたが、田園風景に囲まれたのどかな雰囲気が結構好きでした。
なにせ我々が2年間過ごしたデザイン塔の裏には、4年間過ごしたグラウンドもありましたからね。
私の大学生活と言えば、頭の中はサッカーで埋め尽くされて、体は大抵グラウンドにありました。
午後の授業の殆どは、サッカーウェアで作業していたほど熱をいれていたのです。
ですが、今はグラウンドもキャンパスも無い、それどころかサッカー部も廃部になったそうで、ガビ~ン。
当時は、デザイン科でさえパソコンを使用することは無かった時代です。
ドラフター(製図台)で作業して、傍らにはステンレスの灰皿が鎮座していました。
私以外は皆機関車トーマスの様に口から煙を出しながら、作~業は続く~よどこまでも♪といった感じでした。
そう思うと、時代の変化というか、大きく変化するだけの時間が経ったという事を痛感させられます。
でも、不思議と30年も経っている気がしないんですよね。
卒業してすぐに「アメリカで空手」と、それまでとはまるっきり違う環境に身を置いたせいもあるのかな?
それにしても懐かしい。
所沢キャンパスの跡地って今どうなっているのだろう?
江古田も、駅も街もガラリと変わりましたね。
当時の待合場所と言えば、江古田の南口(我々はナンコウと呼んでいた)がド定番。
「○○時にナンコウで!」は我々の中の流行語大賞、とまでは行きませんが挨拶の様に良くかわされたフレーズです。
予定の変更がある時は、改札脇に設置されたチョーク書きの伝言板が大活躍でした。
当時は、あれで十分便利だったんですよね。
多分、決め事とかやり取りは、なるべく変更のないように今よりもずっと丁寧にしていた気がします。
まあ、本当にそれでどうにかなっていたし、今も大抵の事はどうにかなるはずだと思いますよ。
当時よく行った居酒屋などは殆どがありません。
ですが、その中で我々運動部の聖地とも呼べる店が今もなお当時のままの姿で存在しているのはとても嬉しくてなんだか心強い。
ナンコウの角地ににそびえたつ「江古田コンパ」です。
我々は「エコパ」と呼んでいましたが、そこのママさんとマスターがとてつもなく素敵な人達で、温もりが溢れんばかりのそんなお店でした。
部員でギュウギュウに押しかけてはゲラゲラと笑いが絶えません。
運動部員の心には、そんな思い出がギュウギュウに詰まっているに違いありません。
さて、キャンパスもそうだし、店や景色が変わりゆくのは致し方ないでしょう。
なにせ30年も経つのですから。
でも、こうして変わらぬ姿があるというのは非常にありがたいことです。
なんだか、一生懸命に収集した宝物を保管している宝箱をずっと大切に抱えている??そんな温かい感覚を覚えます。
そりゃ、酸いも甘いも思い出は様々です。
後悔がなんだの、今がどうこうなどと難しい話はさておいて、ともするとふと忘れてしまう過去やその感覚もあると思います。
でも、こうして過去の情景を思い出す事は何となく心には優しい気がします。
道場も、もうすぐで20歳を迎えます。
今まで、本当に良い生徒達に恵まれて来ました。
ラッキー以外の何ものでもありません。
勿論、黒帯は特別だし問答無用の素晴らしさがあります。
ですが、全ての生徒とこうして関わりを持てた事が既に素晴らしい事なんだと思います。
そんな生徒達が道場に対して何かしらの印象を持ってくれて、何十年か経過した後に道場を見るもしくは思い出した時に何となく宝物の様にジンワリ温もりを感じてくれたら嬉しいです。
人間が成長して心身共に変化するわけですけれど、そんな一人の人間の心に残る変わらぬ存在であれたらそれはそれは素敵なことだと思います。
たまに目先の事でグチャグチャとうるさい事を言いますが、そんなのは多分小さな事なんですよね。
生徒を信じ理解して、リードしていこうそう決意した桜流しの頃でした。
では

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