返答戦

少しショッキングな話です。
ある日の初級キッズクラスでのこと。
その日は、来月のTN祭の説明とそれに向けた演武の稽古を行いました。
当日は、生徒全員が板も割ります。
勿論、空手なので素手で割るわけですが……。
「割りたい人?」と尋ねると、「無理無理」「どうせ割れない」「痛そう」そんな声が聞こえてきます。
演武では、黒帯相手に組手をしますが「無理無理」
黒帯に勝てるか?
「勝てるはずはない」
チクチクと、喉よりも心が痛む返答戦。
ん~。
ハ~。
なんだかショッKING!!
いや、どれも正論なのはそうですし、演武がどんなものか想像もつかないのはわかります。
でもね……。
挑戦や経験、自信って観点でも言いたいことはありますが、演武をやる意図や、私が言いたいことへの理解、とまではいかないにせよ意図をくみ取ろうとする想像力があっても良いと思います。
その場には目をキラキラさせた幼年の子もいるし、白帯だっているわけですからね。
場の空気だったり、こう言ったら人はどんな思いをするのだろう、とかですよね。
ある意味素直で、ある意味明確な自己主張なのかも知れませんね。
まあ、やってみれば演武がどういうものなのか理解出来ますし、板も割れるし(失敗する可能性も勿論ありますよ!)、流れや策がどうであれ黒帯を倒せるという事も理解出来るでしょう。
私が伝えたいもの、意図はなにか、理解してくれなくても考えてくれて、将来の物事の捉え方に対する豊かな想像力に繋げてくれたら嬉しいですね。
さておき、この程度でいちいちショックを受けているのは、私のエゴとも言えるわけです。
身勝手に期待するからその先にまで考えが巡らずに、さらりと身勝手な期待を裏切られる。
こっちが2の矢3の矢と先読みと手段を繰り出せば、生徒達のイメージは膨らんだはずです。
修行ですね、修行。
恐らくですが、どんな時代や世の中でも一筋縄ではいかないのが教育でしょう。
いつでもどんな時代背景があるにせよ、結局は大事なのは個人対個人だと思います。
たまたま送り手が教育と成長を意識しやすいだけで、受け手だろうが送り手だろうが、その両者が成長を目指す志が重要な気がします。
見放したり放置したり、無関心だったりまた、信頼関係が無くなっては教育は出来ないでしょう。
感謝や尊敬の度合いも皆平等だと思いますよ。
生徒の皆、いつもありがとう。
さあ、今日も明日も勝負です。
« きになる星人


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